海外で暮らしたことがあるというと、かなりの確率で羨ましがられる。山奥育ちの自分がまさか外国に住む日がくるなどとは私だって夢にも思わなかった。
本当に素晴らしい経験をさせてもらったこと、とてもとても感謝しています。心からありがとうございます。
が、しかーーーしっ!!!
楽しそうな海外での暮らし、実際に生活すると悩みが尽きない。というか、次から次へと問題がやって来る。
やっぱり言葉の問題は大きい。日本に住み言葉が通じたって、分かり合えない人がいっぱいいる世の中だというのに、異国での言語の生涯は生活に直撃してくるのだ。
そしてセットのように付いて来たのが、人種差別。私は黒人からも白人からも…不本意ながらたくさん経験してしまった。
言葉というのは不思議なもので、相手がこちらを見下している時、馬鹿にしている時って何を言っているのか理解できてしまう。いつも私の頭に入ってくれない英語が、波のようにざっぶーーーーんっと入って来るのだ。
後から思った。これはきっと相手の負のエネルギーが私の身体の中で言語化しているのだろうと。人のマイナスのエネルギーは強烈で、そこから何かを感じ取ってしまうのだろう。
そう言えば、似たようなことを友達から聞いたことある。一時停止無視で捕まって(本人は止まったつもりらしいが)おまわりさんに怒られてる時、いつも分からない英語がわーーっと入って来たって(笑)
英語に奮闘する毎日。ある日私は、言語の壁は諦めが付くことを悟った。
私は所詮外国人じゃないか。現地の人だってこちらに何も期待してないのだ。
それに気が付いた時、心がすっと楽になった。そして、開き直ったことでコミュニケーションが段々と取れるようになったのだ。ちなみに開き直ったと言っても、意思の疎通を諦めた訳ではなく頑張ろうとするのを辞めただけである。
今から思えば私はきっと、移住先でも良い人(良い日本人)でいようとしたのだろう。占い師としての経験からも、真面目で一生懸命な人ほど悩む傾向が強い。それと似ていたのかもしれない。
実は、言語の壁を乗り越えるのよりもやっかいだったことがある。
それは、現地にいる日本人との関係だ。要するに自分と同じような人達との関係。日本の様々な会社、様々な都市から集まっているのだが、こっちの方が何倍も厄介だったのだ。
現地校、日本人学校、補習校、塾、習い事、会社…誰と誰がどこで繋がっているか分からない。だから、話題にすること、話すことには注意しなければならない。だから、相談したいことがあっても誰にも言えないことがたくさんあった。日本の友達は話を聞いて励ましてくれるけど、こちらの世界が分からない。旦那に言ったところで、イカれているほどの超ポジティブで話にならない(泣)
そんな時に、ふと思った。「そうだ、占い、行こう」と。
占術は何でもいい、日本語が通じることが大前提。そう思いながら、インターネットで検索しまくり何とか日本人の占い師さんを見つけた。
占術はタロット、良し行ける!
そう確信して、相談内容を簡単に書いて事務所にメールを送ってみた。
2.3日して返事が来た。そこに書かれていたのは「予約が殺到しておりお会いできるのは6ヶ月後になります。よろしければご連絡ください」
ダメじゃん……。
どうやらその人はニューヨークでも割と有名な占い師さんだったらしい。
諦めて他を探してみたのだが、なかなか見つからない。日本の電話占いは海外からだからできなかった。そして、メール占いなんてその頃は思いもつかなかったのだ。
結局、占いどころか誰にも相談できないまま強行突破した。
何とか乗りきったが案の定、ストレスとプレッシャーで体調を崩して寝込んでしまったのである。
私がメール占い専門のタロット占い師をしているのは、当時の私のような人に見つけて欲しいという思いがあるのは間違いないだろう。
私はもっともっとたくさんの海外在住の人からの相談を受けたいなと日々思っている。
せっかくの海外生活、思いっきり楽しんで欲しい。悩む時間がもったいないのだ。でも、渦中にいるとそれを感じにくくなってしまう気持ち、とても理解できる。
メール占いの良さは、インターネットさえあればいつでも相談が出来ること。場所も時差も関係なく。しかも、自分のペースで。
やっぱりメール鑑定って便利だよなぁと思いながら、当時の自分を懐かしく思い出す私であった。